高尾山古墳の調査の経緯

古墳は 静岡県沼津市東熊堂にある前方後方墳です。高尾山穂見神社と熊野神社が鎮座していたこの地は神社の下は古墳であると伝えられていました。

昭和40年代に当時、加藤学園考古学研究所の小野眞一氏が笹津海祥師(妙海寺先代、故人)と共に、東名高速道路建設に伴う愛鷹山地の遺跡踏査中に偶然見つけ、その後昭和53年『目で見る沼津市の歴史』(緑星社刊)に、当地方屈指の古代墳墓として発表しました。

発見当初には方墳と考えられ、高尾山穂見神社の名前を冠して「高尾山古墳」と呼んでいましたが、沼津市教育委員会が昭和57年に発行した『沼津市文化財分布地図』において、高尾山古墳を初めて遺跡とし、遺跡地図には小字由来である「辻畑古墳」の名称で登録されました。

その後「辻畑古墳」として呼ばれていましたが、古墳のある小字は「北方」であり、「辻畑」はその北側に位置していたため、沼津市教育委員会では平成23年6月23 日付けで静岡県教育委員会に対して名称変更に関する届け出を行い、正式名称を「高尾山古墳」に戻しました。

高尾山古墳を発見することとなった都市計画道路【沼津南一色線】は昭和36年度に都市計画決定(県決定)され、平成8年度に事業認可され、街路事業に着手しました。平成17年度に工事着手し、東海道新幹線を横断する区間の工事が概ね完了しています。

IMG_9554IMG_9642

 合わせて高尾山古墳部についての埋蔵文化調査はH17年度から開始され、 平成17~19年度からの試掘調査、H20,21年度にかけての本格調査の過程で、当該古墳が古墳時代初期の重要な前方後方墳であることが 示唆されたので、H22年度から着手する予定であった道路工事に向けた作業は凍結しました。

この調査で得られた成果を、平成22,23年度に整理した結果、高尾山古墳が西暦230年から250年の時代に遡る古墳であることが判明しました。

更に、H26年5月15日~7月18日に墳丘部の内部について追加調査を行い、築造は西暦230年頃であるが、埋葬が行われ当該部が古墳となったのは250年頃であることが推定されました。

しかし、平成27年5月末には、市議会の関係委員会において、古墳を削りながら道路整備のための埋蔵文化財調査を行う方針を説明し、6月議会に所要の費用5100万円を計上。 6月30日には埋蔵文化財予算は沼津市議会にて可決されました。

現在栗原市長は予算執行を留保し、高尾山古墳の保存と都市計画道路沼津南一色線の整備の両立を図るため、実現可能性のある選択肢を検討し、市が事業方針を決定するために必要な条件整理等を客観的に行うことを目的に学識者等からなる協議会を設置しました。

なお、南一色線の道路の完成予定は隣接する岡宮北土地区画整理事業で整備する街路とあわせ平成33年度です。

IMG_9655

(東海道新幹線を横断する区間から246号線方面に接続するための道路建設は進んでおりません)

また鎮座していた高尾山穂見神社及び熊野神社は平成18年より立ち退き開始し、隣接地に平成20年遷座されました。

参考文献