2.古墳時代の幕開けと高尾山古墳

高尾山古墳が築造されたのは3世紀前半~半ばのことと考えられています。これはちょうど邪馬台国の卑弥呼が活躍したとされる時代です。

 

考古学者の中では、狭い意味でのいわゆる“古墳”とは、250年頃に造られたとの説が唱えられている奈良県の「箸墓古墳」以後の古墳が典型的な古墳である、つまり古墳時代の古墳であるとする意見があります。その意見に従えば、箸墓古墳以前に造られた説が唱えられている高尾山古墳は、典型的な古墳ではないと言えるかもしれません。そして高尾山古墳は古墳時代ではなく、それ以前の弥生時代最終期のものということになります

しかし一方の考古学者の説には、箸墓古墳以前の大きな墳丘を持つ墓も古墳と見なすべきであるとの説もあります。そうなると高尾山古墳は正真正銘の「古墳時代の古墳」と見なしてよいことになります。

考古学者の中で、箸墓古墳以前の古墳が厳密な意味での古墳であるかどうかの論争が続いている背景には、日本の古墳の中で箸墓古墳が占める意味の巨大さがあります。まず墳丘長が約280メートルと、規模がそれまで造られた古墳と比べて別格の大きさなのです。そして箸墓古墳の縮小版であると考えられている古墳が各地で確認されています。かつてないほどの巨大古墳であり、かつ縮小版古墳が各地に見つかっているということは、箸墓古墳が当時の日本に極めて大きな影響を与えた人物を葬ったことが容易に想定されます。邪馬台国の卑弥呼が被葬者として有力視されている背景は、そこにあります。被葬者が卑弥呼であるなしに関わらず、箸墓古墳は「国」が、はっきりとした形で見え始めた時期を象徴するものでもあるのです。

 

そのような視点から考えてみると、3世紀前半~半ばのものとされている高尾山古墳は、まさに国の形がまだはっきりしていないか、見え始めるかという、極めて大きな時代の転換期に造られたということになります。高尾山古墳のあり方からも弥生時代の古いあり方と、古墳時代的な新しさが混在しているところが見て取れるのです。

 

高尾山古墳とは古墳時代の幕が開くか開かないかという、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代のものである……まずはこの点を押さえておくと、高尾山古墳の歴史的な意味、重要性がわかりやすくなります。

 

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