5.土器から見えること

高尾山古墳の築造時期について、3世紀前半から半ばというあいまいな数値でこれまでお話を進めてきました。これは専門家の中で230年頃と250年頃という説があって、対立していることからそのような表現にしたわけです。

古墳の築造時期の推定が、専門家間で20年程度ずれてしまうことは決して珍しくないことです。しかし高尾山古墳の場合、250年頃の築造との説が唱えられ、日本の古墳の中でも画期的な意味を持つとされている箸墓古墳の築造時期との関連もあって、その20年の差が大きな意味を持ってしまい、論争に拍車がかかっているという現状です。もちろん皆さんはっきりとは話していないものの、この論争の背後には邪馬台国、卑弥呼、そして狗奴国の存在がちらついています。

副葬品による時代推定は、例外もありますが概ね250年頃です。すると230年築造という説はどこから出てきたのか、それは高尾山古墳から数多く発掘された「土器」から導き出された結論なのです。

 

高尾山古墳で発掘された土器は、静岡県東部の在来型土器が主流ですが、北陸系、近江系、東海西部系、関東系といった外来の土器も見つかっています。しかしなぜか畿内系の土器は全く見つかっていません。畿内系の土器が見つかっていないことは、高尾山古墳が邪馬台国に敵対した狗奴国側の有力者を葬ったとの説に根拠を与えていますが、後にも触れますが実はそんなに簡単な話ではなさそうです。

出土した土器は種類、量ともに豊富で、比較的長期に渡る時期の土器が見つかっています。発掘された土器の時期が長いことは、古墳完成後も長期間に渡って祭祀が行われていたことを示唆しています。

古墳の墳丘の上部や墳丘内から見つかった土器は、230年以前のものとされています。そこから古墳の築造時期は230年頃ではないかとの説が唱えられるようになったのです。沼津市教育委員会は、土器から推定される230年頃に古墳は造られ、実際の埋葬は副葬品、そして墓坑内の土器が示す250年頃、つまり古墳が築造されてから約20年間後に埋葬したとの説を取っています。ある意味、230年説と250年説の折衷案ですね。しかし専門家の中には築造してから20年後に埋葬したとするのはやはり不自然であるとして、230年頃ないし250年頃に築造、埋葬が行われたとする意見も残っています。

なお、高尾山古墳で発掘された静岡県東部の在来型土器は、大廓式土器と呼ばれています。この大廓式土器については、続く広域ネットワークのところでもう少し説明したいと思います。

 

広告