6.広域ネットワークと高尾山古墳

古墳のような大土木工事は、ある日突然始まったものではありません。このような大土木工事を行い得る社会の成熟が背景にありました。

弥生時代の後期、日本は交通革命が起きたと考えられています。交通革命の主役は「船」です。弥生時代中期以降、これまでは丸木舟であったものが、外洋の航海にも耐えられる「準構造船」が用いられるようになったのです。準構造船は弥生時代後期になると大型化し、輸送力が向上します。つまり行動範囲が拡大し、輸送力が強化された準構造船によって、物資の流通が飛躍的に活性化したと考えられているのです。物資の流通の活性化は必然的に各地域の結びつきを強めていきます。そして流通の要となる場所にはやがて大きな力を持った首長が生まれることになります。

当時、準構造船の母港は、波が穏やかな潟湖であったと考えられています。浮島沼という潟湖があった沼津は、準構造船の母港としてまさにぴったりの場所でした。沼津に代表される東駿河から各地に移送されたことが確認されているのが大廓式土器です。大廓式土器とは狩野川下流域で3世紀に作られたと考えられている土器で、関東地方の各地に広く運ばれており、西側は数は少なくなるとはいえ、奈良の纒向遺跡や大阪府などでも見つかっています。各地にもたらされた大廓式土器の主力商品は大型の壺です。大廓式土器は胎土に天城山カワゴ平から噴出した軽石を練り込んでいて、他の壺よりも軽いという大きな強みがあったのです。

 

このように弥生時代の最末期、日本各地では大廓式土器のような、それぞれの地域の特徴を生かした産物の流通が活発化していました。この流れが行きつくところ、それはこれまでよりも広い地域のまとまりです。3世紀の前半から半ばにかけて、全国各地で古墳が造られ始めるのは、このような広域のネットワークを掌握した首長が各地で生まれつつあったことを示しています。もちろん高尾山古墳の主も、このような首長のひとりであったと考えられています。高尾山古墳出土の副葬品、そして北陸系、近江系、東海西部系、関東系といった外来系の土器からも、広域ネットワークを掌握した新しい時代のリーダー像が見えてきます。

 

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